キオク

第三十話 大事な彼女だから



 春ちゃんから驚愕的な新事実を告げられ、空いた口が塞がらない。

 香奈ちゃんを余所に他の女生徒とも付き合っていたとは……香奈ちゃん一筋だとばかり思っていたが

千堂の奴、怒りを通り越してあきれるほどに屑野郎だな。

 更に春ちゃんは薄桃色に染まった唇を止めることなく動作させる。

「あとね……今日、相談されたんだけどさ。香奈、千堂に身体を求められていてちょっと困ってるんだって……」

 ……そうか、つまり千堂は年下の後輩と真剣に交際する一方、香奈ちゃんとは真面目に付き合うつもり

はなく身体だけを欲している……言うなれば香奈ちゃんとはただの遊びというわけだ。彼女がその真意を

知ったらさぞかし落ち込むことだろうね。

 はらわたが煮えくりわたるような腹立たしい想いが僕の体内中を駆け巡る。それでも──

「……でも、もう香奈ちゃんとは関わっていないし僕の出る幕はないと思う」

 僕は春ちゃんへと注いでいた視線を外し消極的な意見を述べてしまう。そんなすっかり意気消沈した僕

に向かって、春ちゃんは柔和な表情を硬く変化させて漆黒の瞳をぶつけてきた。

 彼女の小顔へと吹きこむ春風が、桃色に染まる花弁を躍らせて繊細な黒髪を靡かせる。

「……星川君はそれでいいわけ? 香奈とこのまま距離を置いたままで」

「そ、それは……」

 いいわけがない。

 当たり前だ。現在進行形になっている香奈ちゃんとの気まずい関係を僕自身納得していない。それに

香奈ちゃんの身体目当てで交際している千堂を、このまま野放ししておくわけにはいかないと心の隅で画

策する自分がいる。

「香奈がさ……去年の夏頃、私に話してくれたんだ。星川君が私の事を守るって約束してくれたって。だか

ら私は、たとえこのまま記憶喪失が治らなくても安心して生きていられるんだって。それなのに……星川

君は香奈との約束を破って、このまま放っておくつもりなの?」

「…………」

 そうだ……僕は香奈ちゃんが線路に飛び込んで自殺未遂を犯したあの時、泣きじゃくっている彼女に

向けてこう言ったはずだ。俺が君を守る、どんなときも香奈ちゃんを助けるって。それなのに彼女との約束

をあっさりと破棄してしまうなんて、まるで千堂の行っている悪意と大差ないじゃないか。

 ……やっぱり僕は身体目的で彼氏へと成り上がっている千堂宗一郎の元から香奈ちゃんを救い出したい。

それに香奈ちゃんが不幸のどん底に陥っていく姿を、指を咥えて黙って見ているわけにはいかないよね。

だって香奈ちゃん──西原香奈は……僕にとって大事な彼女だから。

「うん……そうだよね。僕が香奈ちゃんを守らないと」

「よし! 星川君、よくぞ言ってくれた! さてと……ちょっと言いにくいけど香奈に千堂が二股かけてい

る事を教えてあげなきゃね」

「香奈ちゃん、ショック受けたりしないかな……?」

「大丈夫だよ! 香奈ならきっと千堂に愛想を尽かして星川君の元に戻ってくるよ」

 そう楽観的に答える春ちゃんだけど、慎重派の僕としては一縷の不安も取り除けないんだよ。

「そうだといいんだけどね。二股の事をばらしたら千堂が何やらかしてくるか分からないし……そこは慎重

にいかないと」

「そんなに心配することないってー! 私に任せなさい!」

 彼女は自信たっぷりの面持ちで豊満な胸を張りつつ、男子生徒を一瞬で射止める程の威力を備えた

学園アイドル渾身のウインクを飛ばしてきた。

 友達想いの春ちゃんことだから、多少強引にでも香奈ちゃんを千堂宗一郎の魔の手から引き剥がすに

違いないだろう。これは香奈ちゃんとの関係を修復する絶好の機会になりそうだ。

「明日、放課後になったら行動開始ね。私が香奈を呼び止めておくから、卓真君はホームルームが終わっ

たらすぐ香奈のクラスにダッシュね!」

「う、うん」

「それじゃ、また明日」

 そう会話を締めた春ちゃんは、僕に軽く手を振ると小走りで駆けていった。僅か数秒で彼女の姿が公園

から消失する。

 そして、誰もいなくなった公園のベンチで暖かな春風と照りつける陽光を浴びながら僕は思っていた。

少しずつでも構わないから香奈ちゃんと以前のような親密な関係に戻れたらいいなと。

 兎にも角にも、明日は大変な一日になりそうだ。



 翌日、僕と春ちゃんはある行動を起こすことになるが……慎重にいった方がいいという僕の意見は正し

かったのかもしれない。まさか香奈ちゃんがあんな状態に陥ってしまうなんて、僕はこの時、微塵たりとも

思っていなかったんだ。



2010年2月28日 公開




          

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