キオク

第三十一話 彼氏の裏切り



 次の日の放課後。

 本日の僕はどうやら相当運が悪いようで、一ヶ月に一遍程度回ってくる日直の担当になっていた。どう

でもいい学級日誌を書いたり、数式が並べられている黒板の文字を消したりと一通りの仕事を終える頃

にはホームルーム終了から三十分近くも経過しており、これ以上香奈ちゃんと春ちゃんを待たせるわけに

はいかまいと、僕は50メートル走を走る勢いで彼女らが在籍するクラスへと足を運ぶ。

 彼女らのクラスは二クラス先だったので、数秒とかからないうちにすぐ到着した。教室に残っている生

徒は数名程度ではあったが、その中には学園アイドルであり僕の気持ちを再熱させてくれた春ちゃんが

いて、また下校の準備を淡々と進めていた香奈ちゃんの姿も確認できた。

「ねっ? もうちょっと待ってよ」

「えー、私、もう帰るよ。宗一郎君も先に帰っちゃったみたいだし」

「いいから、もうちょっと待ってってば!」

 僕は言い争いながら揉めている二人の元へ近寄っていく。そこで僕の姿を感知した香奈ちゃんは、表

情を重苦しい色に変貌させて、戸惑いの混じった台詞を呟いた。

「あ……た、卓真君。ひ、ひさしぶりだね」

「う、うん」

 数ヶ月ぶりとなる元彼女との対面。どこかぎこちない空気が僕と香奈ちゃんの周りを支配していたが、

その淀みきった雰囲気を第三者である学園アイドルがぶち破った。

「もー! 星川君、遅い! 三十分も待たせないでよ! 香奈の足止め、大変だったんだから!」

 春ちゃんはアイドル顔負けの可愛らしい表情を崩してご立腹のご様子だ。

 すみません。日直の仕事があったから……っていう理由は彼女に通用しないんだろうな。

「よし! 星川君が来たことだし……」

 と、一拍置いて、

「香奈、あなた千堂に騙されているよ」

「えっ? そんなわけないじゃん」

 彼氏である千堂のことを信じ切っているからか、さらっと否定する香奈ちゃんだったが──

「じゃあ、私達に付いて来て。ちゃんと証明してあげる」

 強気で対抗する春ちゃんはいきなり香奈ちゃんの腕を引っ張り、閑散とした教室を抜け出していった。

僕も慌てて後を追う。



 校舎昇降口へと向かう俺と春ちゃん、そして不満げな表情を浮かべむくれている香奈ちゃん。途中、春

ちゃんはブレザーのポケットから可愛らしくデコレーションされた自前の携帯電話を取り出し、慣れた手つ

きでボタンを打って電波を発信した。

 数秒間の沈黙ののち──

「もしもし?」

「うおー! この声は我が愛しの春ちゃ──あでっ! ……あ、天満さん。こ、こちら勇……現在、千堂を

尾行中……ターゲットは単独で行動中」

「デレデレしないでよ、勇! それよりも早くしないと見失っちゃうって!」

 春ちゃんが右耳に添えた携帯電話からは猛獣のような歓喜の雄叫びが飛んでくるが、すぐに頭部を小

突くような鈍い音が響いた。直後、それぞれ色彩の違った男女二人分の声が漏れてくる。

 その声は約一年の高校生活で耳に染みつくほどに聞き慣れている勇と里桜ちゃんによるものだった。

どうやら春ちゃんはこの二人にも協力を依頼したらしい。俺と香奈ちゃんのためにここまで手回ししてくれ

ていたとは、流石学園アイドルの名は伊達じゃないね。

「勇、今どこにいるの? 場所を教えなさい」

「えっとな……学校前の大通りからちょっと進んだところにある商店街」

「わかった。すぐに行くわ」



 数分後、僕たち三人は学校を立ち去り、商店街の入り口前にいる勇と里桜ちゃんに合流した。

 そこでは里桜ちゃんが地べたへと正座する勇に対して「他の娘にデレデレするなんて最低!」と蔑みの

言葉を吐き捨てている。察するに勇は春ちゃんとの通話の件で怒られているみたいだけど、やはりこの二

人は正式に付き合っているのだろうね。

「二人ともお待たせ。それで、千堂はどこにいるの?」

「あっ、ハル! えっと、千堂ならあそこだよ」

 春ちゃんの問いに対し、里桜ちゃんがアーケード中央で天を突くように伸びる時計台に瞳を向ける。示

された場所には携帯電話をちまちまと弄りながら、一人で暇そうに突っ立っている千堂の姿があった。

 途端、香奈ちゃんは春の陽気で咲き誇るたんぽぽのように、輝く笑顔を放って、

「あ! 宗一郎君だ! 私、行ってくるね!」

「ちょっと待ちなさい、香奈! 今、香奈が千堂のところに行ったら面倒なことになるから駄目!」

「どうして? 全然意味が分からないよ……」

「兎に角、香奈はここにいなさい」

「わ、分かった……」

 結局、香奈ちゃんは春ちゃんに説き伏せられてしまい、しぶしぶとその場に留まった。



 ムカつくイケメン面の監視を続けること約五分、ようやく現場に変化があらわれた。集団の中で、最初に

変化を認知した里桜ちゃんが声を上げる。

「あっ! 千堂のところに誰か来たよ!」

 僕と勇が時計台の前へと視線を伸ばすと、

「……本当だ!」

「あれは……女の子だな? 誰だ?」

 商店街奥からひらひらと手を振って現れたのは、淡い茶髪に短めのツインテールを決めた比較的小柄

な女の子。その娘は紺色を基調とした見たことのないセーラー服を着用しており、僕らの通っている学校

の女生徒用制服とは点で違う。つまりあの女の子は他校の生徒らしい。

 千堂とセーラー服の少女は二、三言、言葉を交わすと、どちらからともなく掌を差し出して自然に手を繋

ぐ。傍から見ると初々しい学生カップルにしか映らない二人は、時計台の近くにあるクレープ屋さんの前

で仲良くクレープの注文を始めた。

 こうして千堂が浮気をしている確証を得ることができたものの、僕は香奈ちゃんを手玉に取っていた事

実に憤怒の念を覚えた。

 対して香奈ちゃんは眼前で繰り広げられている光景を、目を丸くしながら唖然として見ている。そして、

世界が滅びる時期を察したかのような絶望を顔に漂わせながら、小さく言葉を漏らす。

「ど、どうして……何で宗一郎君が他の女の子と手を繋いでいるの……?」

「ね、これでわかったでしょ? あいつは浮気を平気でするサイテー野郎だってこと。香奈の身体を求めて

いただけなんだよ」

 真実を突きつけられて、香奈ちゃんは精根を抜かれたかのようにがっくりと俯く。

 が、それでも──

「そ、そんなことないよ。わ、私、直接確かめてくる!」

「あっ、か、香奈っ!」

 やはり現状を受け入れられないらしい。彼女は僕たちの制止を振り切り、出来たてのクレープを分けあ

いながら食する千堂カップルの元へと飛び込んでいった。

「宗一郎君!」

「お、お前! か、香奈!」

 突如、現れた香奈ちゃんを間近にして動揺を露わにする千堂。

 香奈ちゃんは必死になって叫ぶ。

「ど、どうして?」

「……あ〜ばれちゃったか〜。さくら、ちょっとあそこで待っててくれ。俺はこいつに話がある」

「うん。分かった」

 さくらと呼ばれたセーラー服の女生徒は千堂から手を離すと、「早く済ませてね」と言葉を添えて指定さ

れたベンチへと歩いていく。その後、千堂は静かに口火を切った。

「俺は今、あいつと付き合っているんだ。まぁ、春休みくらいからなんだけどな」

 クレープを堪能しながら嬉しそうにベンチへと座るさくらという娘に親指を向け、あっさりと浮気を認める

千堂。

 たまらず香奈ちゃんは言い返した。

「な、なんで浮気なんてするの!? 私と真剣に交際してくれているんじゃなかったの?」

「はぁ? 何言ってるんだ? 最初からお前となんか本気で付き合ってねーし。昔、お前と付き合っていた

時に全然ヤらせてくれなかったから、その仕返しだよ、仕返し。悪いけどお前の身体以外に興味なんか

ねーよ」

 へらへらと小馬鹿にするように騙していたことを暴露するクズ人間千堂宗一郎。俺がまた殴ってやろう

かと思ったが、それよりも前に話題の当事者である少女、香奈ちゃんの平手打ちが千堂の頬に炸裂した。

そして、涙線という名のダムを決壊させた彼女は、今まで聞いたことがないボリューム最大限の荒声で

訴える。

「ひ、酷いよ……私を騙していたっていうの!? 信じてたのにっ!」

「く、くそっ! この女! また俺を叩きやがって! 調子に乗るなよ……お前の弱みを俺が握っているこ

とを忘れるな!」

 そんなフィクション作品にありきたりな捨て台詞を吐いて、千堂は遠くのベンチに待たせている本命彼

女の元へと駆けていった。

 僕ら四人はコンクリートの地面にぺたりと座り込み、ひっくひっくと泣きじゃくる香奈ちゃんの傍へと寄る。

大親友の春ちゃんと里桜ちゃんは、彼女の肩を抱きながら慰めの言葉を浴びせていた。

「香奈。これで良かったんだよ。あんな最低人間の彼女になんかなる必要はない」

「そうだよ! あんなバカほっといたらいいのよ!」

「…………」

 以降、香奈ちゃんは一言も発しなかった。



2010年3月30日 公開




     

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