キオク

第二十七話 怒り



 春ちゃんは自分自身に群がる女生徒へと席を外す旨を伝えると、廊下で待ち呆けている僕の元に近寄

ってきた。男子生徒からは羨望の的になっているらしく、痛々しい視線が四方八方から弓矢のように飛ん

でくる。しかしそんな状況にも慣れているのか、脇目も振らずに学園アイドルに相応しい柔和な笑顔で僕

を迎えてくれる春ちゃん。

「どうしたの、卓真? 急に私のところに来ちゃって」

 彼女へと突き刺さる眼光が気になってしょうがないが、とりあえず僕は香奈ちゃんの態度が素っ気なく

なっている今の状況を説明した。

 事情を一通り理解した春ちゃんは、顎に手を掛け「う〜ん……」と唸りながら沈思黙考する。わりと真剣

に悩んでくれているようなので、これはいいアドバイスを与えてくれるに違いない。

「じゃあ、香奈に直接聞いちゃえばいいじゃん」

 しかし最終的に導き出したアドバイスは、誰にでも思いつきそうな普遍的な意見だった。

 というよりも、直接聞ければここまで苦労はしないです。その前にあなたへ相談しにも来ないです。

「春ちゃん……それは無理なんじゃ──」

「よし、そうと決まれば行動あるのみだよ!」

「えっ!? ちょ、ちょっと!」

 僕はそのアドバイスに異を唱えようとするが、春ちゃんは軽く無視して右腕を強引に掴んできた。そして

渡り廊下を猛スピードで駆け出して、わけの分からないまま僕の在籍するクラスへと強行突入。

 ここまでゴリ押しで攻める春ちゃんに、相談を持ち掛けるべきではなかったのかもしれない。

 現在、昼食時ということもあり、香奈ちゃんは一人孤独に机へと弁当箱を広げて白ご飯を頬張っていた。

表情は薄暗く曇っていて普段通りの温厚さが微塵も見受けられない。

 そんな暗黙が迸る少女を発見した春ちゃんは、僕の腕をぐいぐいと引っ張り香奈ちゃんの元へと迫って

いく。そして香奈ちゃんの机の前で仁王立ちになると、机へと思いっきり掌を振り落とした。

 瞬時、教室には威圧感を与える激しい音が響き渡る。

「ふわっ! は、春ちゃん、ど、どうしたの!?」

「香奈! なんで卓真に余所余所しくしてるの!?」

「え、えっ!?」

 驚くほどド直球だった。

 ちょ、ちょっと、春ちゃん! もっと遠まわしに言わないと! ……まぁ、こんなやり方が春ちゃんらしいと

言えばそれまでなんだけど。

「そ、そんなことないよっ!」

「嘘っ! 私にはわかるよ! さあ言いなさい!」

 焦りながら否定する香奈ちゃんの両肩を掴み、一直線に強い視線をぶつける春ちゃん。

 その真剣な面持ちに根負けした香奈ちゃんは、ようやく僕に素っ気ない態度を取っている理由を口にし

た。

「……あの……私、誰を信じればいいか……分からなくなっちゃって」

 弱々しい口調で語り始めた香奈ちゃんの大きな瞳には、彼女に似合わない大粒の涙が浮かんでいる。

その表情には誰が見ても一発で分かるような悲哀が滲んでいて、沈み込む僕の気分を更に急降下させ

た。

「卓真君が……嘘をついて私と付き合っているかもしれないとか……変なことばかり考えちゃうの……」

 申し訳なさそうにそう言葉を締めくくる香奈ちゃん。その時、僕の脳裏にはある一つの疑問が浮かぶ。

 中間登校日に二人で楽しく制服デートを行ったのにも関わらず、そういう考えに至ってしまった経緯が

全然分からないのだ。あれから半月程度しか経っていないのに、そう簡単に心変わりしてしまうものなの

か腑に落ちない点がある。

 が、その疑問は次の香奈ちゃんの発言で、太陽に晒された氷の如く全て解けることになる。

「ごめんね……今まで卓真君の事を信用してたけど……千堂君に付き合っていた証拠はあるのかとか

言われちゃって……」

 ……そうか、つまりこういうことか。

 あの糞男千堂は記憶喪失について知っていることを、当事者である香奈ちゃん本人に洗いざらい喋っ

た。その上で「記憶を失っていたんだから、あいつと付き合ってた証拠なんてないだろ」とか香奈ちゃんの

気持ちを惑わす言葉でも掛けたのだろう。

 確かに香奈ちゃんにとって僕は事故当時、たまたま傍にいたというだけの少年だ。事故以前に香奈ち

ゃんと交際関係にあったという確証的な証拠は提示できない。そんな盲点を千堂は上手い具合に突いて

きたというわけだ。これでは香奈ちゃんの信用が薄れてしまうのも当然と言える。

 ……やっぱり、あのキザ男は最低野郎だ。

「香奈っ! あんな男の言うことを真に受けてどうするのよ!」

「でも……千堂君は林間学校の時、私たちにスタンプを押すシートを恵んでくれたんだよ。悪い人には思

えないよ」

 想定外にも香奈ちゃんは、洗脳された宗教信者のように千堂の策略に嵌っていた。

 ……でも、これで分かった。完全にあいつは香奈ちゃんを僕の手から奪おうとしている。

 駄目だ。暴力が最低な行為だとわかっていても、千堂に一発お見舞いしたい衝動に駆られてしまう。

 結果、僕の湧き上がる怒りは頂点へと達し──

「あっ! た、卓真!」

「卓真君!」

 気付けば僕の体は勝手に動いていた。

 向かう先は当然、香奈ちゃんに魔の手を伸ばす、憎き男、千堂宗一郎の居場所。

 千堂は案外、すぐに見つかった。隣のクラスでチャラチャラした雰囲気を醸し出す友人数人と和気あい

あいと談笑している。その罪の意識の欠片もない幸せそうな笑顔が、僕のトサカに上った怒りへ更に刺

激を与えた。

 そして──僕は無意識のままに彼を殴っていた。



2009年10月13日 公開




          

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