キオク

第二十六話 彼女の変化



 約一ヶ月に及ぶ高校生活最初の夏休みが終わり、今日からいよいよ新学期。

 気分を一新するに相応しい季節ではあるが、僕は気分の優れないまま足首におもりを繋がれたように

重々しい足取りで通学路を進む。

 こんな気分に陥ってしまった原因は全て千堂宗一郎にある。僕らの弱みを握ったあのキザ男が、今日

からどんな反抗に打って出てくるのか非常に心配で胸騒ぎを感じる。香奈ちゃんに直接的な被害が及ば

なければいいのだが。



「くっそー! また負けたー!」

「もう、全然学習してないじゃん」

 半月ぶりの教室で最初に目にしたのは勇と里桜ちゃんが白黒の丸い物体を手に何やら盛り上がって

いる光景だった。

 二人が囲む里桜ちゃんの机に鎮座するのは、緑色に染まった正方形が規則的に並んだ小さなボード。

誰もが一度は触れたことのある西洋発祥のボードゲーム、オセロである。

「だから私が教えたとおりやればいいの」

「それができねーから困ってるんだよ」

「さっきから何回も教えてるのに……今更だけど勇って結構バカだよね」

「う、うるせー、桑本の説明が難しいすぎるんだよ!」

「もうしょうがないなー。また教えてやるかー」

 会話から察するに里桜ちゃんが勇にオセロの必勝テクニックを教える構図になっているらしい。

 以前は悪口の言い争いを繰り広げる関係であったが、いつの間に和解でもしたのか親しげにオセロを

楽しんでいる。林間学校での戦争もとい喧嘩がまるで嘘だったかのように思えるほどに。

 そんな勇が里桜ちゃんを罵倒しない光景を珍しがりながら、僕は窓際の自分の席へ。

 不意に僕の恋人、西原香奈の座席へと視線を飛ばす。時刻的にもう登校していてもおかしくないのだ

が、未だ机の主は姿を現さず空席のままである。



 そんな香奈ちゃんが我が教室にやってきたのはホームルームの開始五分前。

 普段は三十分以上余裕を持って登校しているだけあって、彼女がこんなに遅れて登場するとは珍しい。

学期始めということもあって盛大に寝坊でもしてしまったのだろうか。

 僕は久方ぶりに瞳へ写した小柄な純朴彼女に向かって、破顔で朝の挨拶を発する。

「香奈ちゃん、おはよー」

「あ……た、卓真君……お、おはよう……」

 彼女は僕の挨拶に対し、派気の感じられない小声を返す。

「どう? 元気してた?」

「う、うん……」

「どうしたの? 何かあった?」

「な、何でもないよっ!」

 何故か香奈ちゃんは容姿に似合わない重苦しい表情を浮かべ、無言で俯いてしまった。

 雰囲気が普段の香奈ちゃんと点で違う。奇妙さを察知した僕はいろいろと香奈ちゃんの興味をそそる

話題を振ってみるものの、会話がいつものように弾まなかった。



 香奈ちゃんの様子が何処かおかしい。

 話を振っても大した反応が返ってこず、まるで他人と会話しているかのようにただならぬ余所余所しさ

がはっきりと伝わってくる。香奈ちゃんに会うのはあの中間登校日に行った制服デート以来なのだけど、

あの時は優しい彼女らしく普通に接していてくれていたはず。その中間登校日から日数的にもそれ程経

っていないのに、こんなにも態度が豹変するのは正直おかしな話である。

 僕は脳内にある一つの推測を出す。

「千堂が一枚噛んでいそうだな……」

 あんなに友達思いの彼女が素っ気なくなるなんて、やはり記憶喪失の秘密を握っている千堂が絡んで

いるとしか思えない。まさか既に行動に出ているとは思いもしなかった。

「…………しょうがない」

 僕は一旦考えるのを止めて、教室からある場所へと向かう。



 出向いた先は僕のクラスの二つ隣に位置する同学年のクラス。

 扉からアウェイ感満載の教室を覗くと、僕の会いたかった人物は即見つかった。男子生徒から羨望の

視線を浴び、教室の中心で女生徒と共に雑談を楽しんでいる茶褐色の髪を優美に靡かせた美少女。そ

の名も天満春香さん。

 普段そこに存在するはずかない僕の姿に気付いた春ちゃんは、小首を傾げて疑問の声を投げ掛ける。

「あれ、卓真? どうしたの?」

「春ちゃん。ちょっと相談が……」

 こんな状況に陥ってしまった時に頼れるのは、秘密も事情も知り尽くしていてなおかつ利点も効く学園

アイドルの春ちゃんしかいない。この娘なら僕の置かれた不利な立場を逆転させるジョーカー──切り札

を持っているかもしれないだろう。

 その可能性を信じ、僕は香奈ちゃんの席へと歩を進めた。



2009年9月24日 公開




          

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