キオク

第十九話 幼き日の写真



 夏休み初日。

 僕は空調も効かない自室のベッドで、夏特有の気だるさと格闘をしていた。しかし、猛暑という名の魔

法が身体を完全に束縛してしまったので、指一本として動かすことが出来ない。

 そのまま身動き一つせず、気付けば数時間が経過し、夕刻の時を迎えていた。

 突然、部屋一帯に流れ出す軽快な電子メロディ。携帯のサブディスプレイを覗き込むと、香奈ちゃんの

お姉さんである西原里奈さんの名前が表示されていた。

 僅かな力で右腕だけを動作させ通話ボタンを押すと、携帯電話のスピーカーから響くのは湧水に匹敵

するほど透明度抜群の美声。

「あ、卓真君? あのさ、いきなりなんだけど……海水浴行かない?」

「え? 海水浴ですか?」

「そう、来週の週末にでも」

 どうやら西原姉妹が夏休みを利用して、県外の海水浴場へ日帰り旅行に行くようで。僕が香奈ちゃん

の恋人ということもあり、小旅行へのお誘い電話を入れたのだった。

「突然、なんで海水浴に?」

「んーとね、いろんな体験っていうか刺激かな? 香奈の記憶が元に戻るかもしれない……それで、夏だ

し海水浴に行こうかなって思ってるわけ。勿論、私も行くから一緒に行かない?」

 成程、確かに普段訪れることのない海で遊べば、香奈ちゃんにとってはいい刺激になるかも。過去の

一部分だけでも、記憶が戻るかもしれないし。

 それに一男性として、水着という露出的な格好に凄く興味をそそられる。さぞかし香奈ちゃんは、太陽

のように眩しくて、少女らしい可憐な水着姿を披露してくれるに違いない。真夏の海と澄みわたる青空に

良く映えそうだ。

 勿論、僕は悩むまでもなく了承する。

「あ、それとね。なるべく大勢で行きたいから他の人も誘ってね」

 大人数ではしゃぎ騒いだ方が、忘れられない思い出、そしてより良い刺激にもなるだろうとのこと。

 まぁ、誘えるとしたら、勇とか天満さんとか林間学校で一緒の班だったあの3人くらいかな。

 とりあえず後で、誘いの連絡を入れておこう。

「それで、卓真君の好きな色って何?」

 話題は唐突に変わり、何故か好きな色を訊かれる。

「色ですか? え〜っと……黒ですかね」

「へぇ……結構、マニアックなんだね。それじゃあ、香奈に伝えておくよ」

 僕の好きな色を聞き出してどうするつもりなのだろうか。

 しかも、黒がマニアックって。黒は白と肩を並べるくらい、基本的な原色だと思うんだけど。

 こうして質問の意味を見出せないまま、麗しき里奈お姉さんとの通話は終了。

 というわけで、僕も海水浴という名の小旅行に参加することとなった。

 そして僕の他には、暇人の勇、勇の監視役に抜擢された天満さん、そして友達の千代田さんの参加も

決定している。

 因みに里桜ちゃんは空手部の県外合宿、金成は夏休みの短期アルバイトで行けないらしい。勇と里桜

ちゃんによる戦争は勃発しないだろうし、平和な旅行となりそうだ。



 そして小旅行を明日に控え、準備を始めようとする矢先、問題が発生。

 夏休み突入後、意識の欠如した生活を送っていた為か、六畳ほどの部屋がゴミ屋敷並の散らかりを見

せているのだ。

「……仕方がない。部屋の片づけでもするか」

 気分が全く優れないが、これでは準備のしようもないので重い身体を起こして作業を進める。

 まずは床に散らばった雑誌から片そうか。



 やっぱり、この漫画は感動物ものだな。

 名前しか知らない漫画家の傑作を瞳に映し、僕は心の内からそう思う。

 何故、上記のような気持ちに陥ったのか説明しよう。

 時を遡ること、一時間前。

 本棚の裏側を漁っていると、埃を被った一冊の本が出てきた。それは遠い昔、小学生の頃に無くした筈

である「蒼き閃光」という男女二人の熱き冒険を描いた少年漫画だった。

 懐かしの漫画を見つけてしまうと、人間というのは無性に読んでみたくなるもの。

 結果、一時間もの間、読書に没頭していたわけだ。掃除をして一日で終わらなかった人の典型的なパ

ターンである。

 閑話休題。

 夕方からぼちぼち始めた部屋掃除であったが、掛け時計に視線を向けるといつの間にか短針が10

数字を指し示していた。

 明日の出発時刻は午前6時なので、早めに掃除をお開きにしないと遅刻は免れないだろう。

 作業を再開すると、机に連なった棚の奥から石ころ程の硬い物体を発見。

 掌に握られた無機物は、宝石に似せた玩具だった。青く揺らめく閃光が僕の瞳に焼きつく。

 すぐ脇には分厚めの本が鎮座し、表紙には僕の名前がでかでかと表記されていた。中には色褪せた

写真が所狭しに並べられ、端に一枚一枚写真についての詳細が記されている。

「アルバムかぁ〜、うわぁ〜この写真なつかし〜」

 懐かしさが混み上げるあまり、片付け作業はまたもや停止の一途を辿った。

 アルバムの頁を捲っていると、『卓真4歳、近所の公園にて』と記された写真に目が止まる。

 見知らぬ公園のジャングルジム前で、男の子と女の子が無邪気に微笑んでいる。

 二人は宝石の玩具を、大事そうに握りしめていた。加えて、女の子が肩に掛けたトートバッグには、燦

然と輝くお守りが垂れ下がっている。

 更に気になる点が一つ、女の子は香奈ちゃんの風貌に激似である。現在の香奈ちゃんを幼女化して、

そっくりそのまま過去の時代に転送したかのような雰囲気だ。

 男の子は姿恰好、そして「ほしかわたくま」のアルバムに選別された写真の人物からして、僕本人に違

いない。

 じゃあ、この香奈ちゃんに似ている女の子は誰?

 直後、トートバッグの肩紐に記された筆跡から、重大な事実が判明。瞳孔には「かな」という滲んだ文字

が浮かび上がる。

「こ、この女の子、やっぱり香奈ちゃん?」

 生憎、昔の記憶は微塵も残っていないから何も分からない。

 でも、確かに香奈ちゃんの姿と重なる点が多いから本人なのかもしれない。いや、ここまで証拠が上が

れば十中八九、本人確定だろう。

 念のため他の写真にも目を通すが、香奈ちゃんらしき女の子が載っている写真はこれ一枚だけだっ

た。

「さっき見つけた玩具の宝石も……僕が写真で握っている物とほぼ同じ……」

 そういえば香奈ちゃんのお守りを拾った際に、何か硬い物が入っていた気が……

 それがもし、同じ宝石の玩具だったら……

「香奈ちゃんは昔、僕と会ったことがあるってこと……?」

 僕はさまざまな憶測を回遊させながら、経過する時間を放棄して考え耽っていた。



2009年3月24日 公開




          

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