キオク

第十八話 元彼



 森の奥深くで静けさを漂わせる幻想的な湖。そして、自然を象徴する爽やかな香りが湖を包みこむ。

 ここが第一チェックポイントの『振向山湖畔公園』である。

 千代田さんの方向音痴や例の二人の喧嘩などの理由で大幅に時間を割いてしまったが、ようやく辿り

着くことができた。

「ここだね」

「そうみたい。ほんとよかったぁ〜」

 責任を重く受け止めていた千代田さんは、ようやく安堵の息を漏らした。

 僕もひとまず安心する。

「それで、チェックポイントはあそこかな?」

 見ると湖の脇に立つ小屋の入口に、スタンプを押す台が設置されている。

 恐らくあの場所が『振向山湖畔公園』のチェックポイントだろう。

「そうだね。あっ、シート必要なんだよね」

 千代田さんはスクールバッグから一枚の紙を取り出す。それはスタート地点で班毎に一枚ずつ配られ

たチェックシート。

 このシートにスタンプを押すことで、チェックポイントを通過したことが証明されるのだ。

「うん。じゃあ、早いとこスタンプ押して次に進もうか」

 遅れを取り戻すためにも、早く進みたいところ。一行は急ぎ足で湖脇の小屋へと向かう。

 途中、里桜ちゃんを背負った勇が口火を切った。

「千代田ちゃん、スタンプは俺が押すぜ。だから馬鹿女、背中からさっさと降りろ!」

 突然の宣戦布告。この発言が新たな波乱を呼ぶ切欠となる。

 直後、勇の後頭部には鈍い衝撃が。沸点の低い里桜ちゃんによる拳が炸裂したのだ。

「あでっ! な、何しやがる!」

「この馬鹿の代わりに私が押す! 瑠奈! チェックシートこっちによこして!」

「うるせー! 俺が押すんだよ! 千代田ちゃん、チェックシート俺にくれ!」

 こうして冷戦状態だった二人による、新たな戦いの火蓋が切って落とされた。

 醜い言い争いを繰り広げながら、二人は千代田さんに突っ込んでいく。

「えっ、あっ、ちょ、ちょっと!」

 吃驚する千代田さん。そして手から離れる一枚の紙。舞い上がった紙はあっさりと戦火の中へ飲み込

まれていく。

 一枚の紙を巡る、奪い合い──

 戦争の結末は、真二つに裂けたチェックシートが物語っていた。

 唖然とする一同。

「あっ! お前ら、何してんだよ!」

「だって馬鹿勇が──」

「だって馬鹿女が──」

 仕舞いには互いに罪を押し付け合い。

 この二人に反省という言葉は存在しない。そして、一向に成長もしない。

 里桜ちゃんの怪我の件で、二人は変わったと思ったのに。やはり人はそう簡単に変われないらしい。

「どうすんだよ……」

 ここで重大な問題が発生。スタンプを押すチェックシートがなくなった。

 他にスタンプを押せそうなものは、地図くらいしかない。

 しかし、地図は本当に小さい紙なので、チェックポイントのスタンプが全て収まらない可能性が高い。最

悪スタート地点まで戻って、再度シートを貰ってこなければならないだろう。

「しょうがない。この馬鹿女のジャージにでも押そうぜ!」

「うっさい! あんたの顔面に力一杯押してあげようか? めり込むくらいにね!」

 喧嘩を続ける二人を余所に、途方に暮れる一行。

 と、そこへ──

「お? 香奈がいるじゃん」

 目の前に現れたのは、学校指定のジャージを纏った一人の少年。

 僕はこの少年に見覚えがあった。

「……お前、確か千堂だよな?」

「おー名前知っててくれたんだ」

 彼は隣のクラスの千堂宗一郎(せんどうそういちろう)。

 秀才、容姿端麗、運動神経抜群と三拍子揃っていて、非の打ちどころがない人物。そのため、女の子

に頗る評判がいい。更に一時期、香奈ちゃんと付き合っていたこともある。

 交際の事実を知ったとき、僕はかなり落ち込んだものだ。

「あれ、チェックシート破れてるじゃん。どしたの?」

 千堂は地面に散らばるチェックシートの残骸に気付いた。

 とりあえず千代田さんが一部始終を説明。一通り事情を理解した千堂。

「なるほど……んじゃ、これ使えよ」

 差し出してきたのは一枚の紙。それは紛れもなくスタート地点で配られていたチェックシートだった。

「何かスタートの時、余分に貰っちゃってな。よかったら使ってくれ」

「ありがとう」

 お礼を告げ、千代田さんはチェックシートを受け取る。

「そういえばさ、卓真。お前、香奈と付き合ってるんだって?」

 そして話題は香奈ちゃんと僕の交際について移る。

 やはり元彼である千堂の耳にも、香奈ちゃんの情報が届いているらしい。

「悪いか……?」

「全然。でも香奈、可愛いから他の男に奪われないように注意しろよ」

「分かってるよ。特にお前みたいなやつには注意する」

 僕は皮肉たっぷりに言い返す。

「おいおい、別に俺が奪うなんて言ってないだろ。それじゃ、俺行くから。あ、香奈バイバイ!」

 余裕の感じさせる笑みを浮かべ、千堂は班員の元へと戻っていった。香奈ちゃんに手を振ることを忘れ

ずに。

「……千堂君か。いい噂聞かないけれど優しいところもあるんだね」

「でも、何か信用できないんだよな」

 千代田さんは見直したようだが、はっきり言って僕は千堂の事を良く思っていない。

 香奈ちゃんの元彼というのも一つの理由だが、女性関係で悪い噂が絶えないためだ。

 別れを迫ってきた香奈ちゃんに、手を出したという噂も流れていたことがある。しかし、誰かが確認した

わけではないので殆どの女生徒は噂を信じていないらしい。

「ねぇ? 千堂君って?」

 小首を傾げながら、香奈ちゃんが尋ねてくる。

「あ、そっか。香奈ちゃん、あいつのこと知らないのか」

 勿論、香奈ちゃんと千堂は記憶喪失の前に交際していた為、今の香奈ちゃんが千堂の事を知るはず

はない。

「うん。でも、優しい人だね」

 チェックシートを譲ってくれた為か、香奈ちゃん的には第一印象は良いらしい。

 でも僕は香奈ちゃんに向けた優しさに裏がありそうで、心配せずにはいられなかった。



 最終的に僕達は全48グループ中45番目にゴール。

 最下位は何とか免れたが、やはり最初の遅れが順位に響いたようだ。

 対して千堂達のグループは2位で入賞したらしい。

 そして先程、千堂はどういうわけか香奈ちゃんに話かけていた。

 別れたはずはなのに、何で今更香奈ちゃんに近付いているのだろうか?

 僕は千堂に疑いの眼差しを向けるしかなかった。



2009年2月27日 公開




          

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