君と奏でるコルネット



第二楽章 高鳴る鼓動の正体は……?



「なぁなぁ市野崎。あの二列目の一番後ろに座ってる娘、可愛くねぇ? やべぇ、マジ惚れたわ!」
 華々しい私立白銀学院入学式から三日後。

 俺は入学式初日から意気投合した前席の男子生徒、桶川(おけがわ)と会話を交わしながら弁当箱のおかずを箸でつついている。
 一目惚れ──俺の思考的には到底理解できない感情だな。今のところ野球が楽しくて仕方がないから、恋愛自体に興味がもてないからかもしれないけど。
 そんな考えを回遊させながらおかずの卵焼きを口に運び、桶川が一目惚れしたという少女を見てみる。うん、桶川の言うとおり可愛いといえば可愛い。その辺の男子生徒に聞けば十中八九、彼女は可愛いと太鼓判を捺すだろう。けど、俺の心には何の感情も湧き上がってこないな。
「まぁ、可愛いんじゃないか。俺は手出ししないから勝手に頑張ってくれよ」
 桶川が一目惚れした女子生徒とどうなろうが知ったこっちゃないので、俺は軽く受け流す。
「おいおい、その言い草はないだろ。友達として何か手助けしてくれてもいいじゃねぇか。例えば……そうさな……俺の素晴らしき魅力をさりげなく吹きこんでくるとかはどうだ?」
「なんで俺がそんな面倒なことしなきゃいけないんだよ。それに初対面でいきなりお前の魅力とか語りはじめたら、俺が変な奴だと思われるだろ。わざわざ自分の株を下げるようなことはやらん」
 とまぁ、そんな余裕をかましていられるのも今の内だけなんだけど。
 この時はまさか俺の一目惚れ全面否定の思考を覆す出来事が起こるとは微塵にも思っていなかったからね。

 桶川がとっさに思いついた都合の良すぎる妄想計画『あの娘と仲良し大作戦 パート3』を軽く聞き流しながら昼食を平らげた俺は、即座に椅子から立ち上がり教室の扉へと進んでいく。
「あれ、音弥、どこか行くの?」
「ちょっと、野球部の見学」
 腐れ縁関係かつ親友であり同クラスメイトになった谷裕二が不思議そうに訊いてくるから、俺は言葉を返してやる。まぁ、入学直後でよそよそしい雰囲気が漂うこの時期に教室から出ていく理由はトイレぐらいしかないからな。
 閑話休題。
 白銀学院の野球部は強さを維持するために昼休みの練習を欠かさず行っている。そんな情報を嗅ぎつけた俺は、教室から寄り道をすることもなく野球部が練習しているというグラウンドへと直行した。百聞は一見にしかずとも言うことだし、入部するからにはどのようなカリキュラムで練習が行われているのかを知るのも勉強になると思ったからだ。
 そんなわけで俺は昇降口の下駄箱で上履きからスニーカーへと靴を履きかえ、春風の吹きこむ野外へと飛び出す。
 緑色のフェンスに囲まれた校舎脇のグラウンドでは、怒号に包まれた迫力のある練習風景が広がっていた。白い生地のユニフォームを泥塗れにしながらノックを受けるその姿からは、強豪校の練習体制は伊達じゃないことが窺い知れる。
 数週間後、このメンバーに俺が仲間入りしていると思うとなぜだか無性にわくわくするな。
 そんな熱い感情に入り浸っていると、グラウンドでは練習が一段落したらしく野球部員が練習道具の片付けに着手していた。
 うん。実にいい光景を見た。
 こうして俺は満足げに教室へと戻ろうとするが──
 不意に身体の神経に伝わってくる柔らかい感触。どうやら誰かとぶつかってしまったらしい。
眼前に写りこむ華奢な少女の両手には、長方形型の皮のケースが握られていた。俺の肩に接触した衝撃で皮のケースに重心を奪われふらふらとよろめく少女。しかし、アニメなどで度々見かけるドジっ娘のように派手に転ぶことはなく、何とかその場に踏み留まって体制を立て直した。
 そして──
「ご、ごめんなさいっ」
 と、律儀よく謝罪の言葉を述べた少女は小走りでそのまま校舎裏へと消えていった。
 何が起きたのかよく理解できないまま足元に視線を下ろすと、今現在まで彼女と対峙していた場所にあめ玉サイズのキーホルダーが落ちていた。それはテレビ番組でも紹介されていた、今流行中のクマのキャラクターを模ったキーホルダーだった。
「これ……あの娘のものか?」
 このキーホルダーは元からここに落ちていたものなのか、それとも先程の少女が落としたものなのか。俺はしばし悩んだ末に彼女を探すことに決めた。仮にこのキーホルダーが彼女の私物であってもなくても、確認くらいは取っておいた方がいいだろう。
 というわけで俺は彼女を捜索すべくキーホルダーを握りしめたまま校舎裏へと向かう。
 校舎裏からは遠い昔に耳にしたことがあるような懐かしい音が聞こえてきた。
 樹木の影から覗き込むと──
 校舎脇に立ち並ぶ桜木の根元で、金色に煌めく楽器を澄みわたる青空へと一直線にかまえ、綺麗でかつ繊細な音色を響かせている少女。
 その彼女から醸し出される美しき構図が、俺の中枢神経に弓矢で射抜かれたような刺激を与える。
 死ぬほど音楽が大嫌いなはずなのに、なぜか彼女の奏でる楽曲には身体を優しく包み込むような心地よさが混じっていて、不快感がまったく湧き上がってこない。
 そして、徐々に高鳴っていく胸の鼓動。
 何なんだ……このもやもやして落ち着かない感覚は……?
 改めて彼女を熟視する。茶褐色に染め上げられ軽く後頭部で括られた髪に、吸い込まれそうなほど大きな漆黒の瞳。そして前髪に留められた花飾り付のヘアピンが、彼女の可愛らしい容姿に上手く調和されている。
 やばい、あの娘がすごく可愛く思えてきた。いや、足先から頭のてっぺんまで眺めてみるとめちゃくちゃ可愛い少女じゃないか。
 ……あぁ、そうか、気付いたよ。これが一目惚れというやつか。今なら桶川の気持ちもなんとなく理解できるような気がする。
 花びらが舞い散っていく光景と調和している彼女の楽器を奏する姿はとても魅力的に映った。
「あ、もう時間がない!」
 サーモンピンクに彩られた携帯電話の液晶画面に、瞳を這わせた彼女がそう口にする。
 そしてガラス物を扱うかのように丁寧にケースへと楽器を仕舞うと、少女はせかせかとこちらへ向かってダッシュしてきた。そういえばもうすぐ昼休みは終わりだったな。
 無論、少女に見惚れて校舎影から身を動かさなかった俺は彼女とはばったり出くわすことになる。
「わっ! びっくりしたー! あ……あれ、さっきの人?」
「あの、こ、これ落としたよね」
 初めての会話。きょとんとした表情の彼女に俺は緊張感を交えながら尋ねてみる。
「あ! それ私の! さっき落としちゃったんだね。ありがとう!」
 やはりキーホルダーは彼女の落とし物だったらしい。
 少女は俺の掌からクマのキーホルダーを受け取ると、太陽のような眩しい笑顔を振りまいてくれた。当然のごとく、そのめちゃくちゃ魅力的な破顔に俺の心は一瞬にして鷲掴みにされる。
 過大な表現と思われるかもしれないが、地上に天使が存在するんだと思わせるほどに彼女の振る舞いは美しく清純に見えた。



2011年1月18日 公開



          



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