君と奏でるコルネット



第一楽章 俺は俺の道を行く



 家系でいえば跡継ぎ。会社でいえば後継者。政治家でいえば世襲。落語家でいえば襲名。
 子供が親の仕事を継ぐ際によく使われる言葉で、期待されている証でもある。
 かくいう親父も、息子である俺──市野崎音弥(いちのざきおとや)に対して期待の目を光らせていた。
 俺の親父は市野崎一(いちのざきはじめ)といい、あらゆるジャンルの楽曲をミュージシャンに提供している業界でも名の知れた有名なコンポーザー──作詞・作曲家だ。世に送った楽曲は音楽活動歴約20年の間で700曲以上と言われている。
 そんな業界に名を轟かすほどの有名音楽家である親父は、俺がまだ幼かった小学生低学年の時にピアノやバイオリンといった音楽系等の習いごとを強要した。
 最初に通うことになったのは、親父の古くからのバンド仲間が経営している老舗のピアノ教室。当時の俺は、白と黒、二種類の長方形ボタンが連なる巨大ブラックボックスから音を鳴らすためだけに、週三回ほどピアノ教室へと足を運んでいた。このピアノ教室だけならばまだ我慢できたかもしれないが、親父の強要はそれだけには及ばなかった。ピアノ教室に通いはじめるようになって三ヶ月が過ぎた頃、親父の知り合いが経営するバイオリン教室に連れていかれ、最終的に親父が週二回のペースで通う契約を交わしてしまったのだ。
 仮に俺が音楽大好き少年だった場合、自分を音楽に導いてくれた親父へと感謝の意を称するべきだろう。
 しかし、そうはいかなかった。親父の期待も空しく、当時の俺はこれっぽっちも音楽の道に進みたいとは思わなかったのだ。
 気持ちだけの問題ではない。俺自身に兼ね備われている才能にも問題があった。どういうわけかプロ並みの練習量を積んでいるのにも関わらず、ピアノやバイオリンの腕前がまったくと言っていいほど上昇傾向を見せなかったのだ。親父から引き継いだ遺伝子が突然変異してしまったのではないかと思われるほどに。加えて講師のよる期待の目と異常なまでの圧力もあり、俺にとっては非常に耐えがたい状況が続いた。
 そして塵も積もれば山となるということわざ通り、積もり積もった怒りが火山噴火のように爆発することとなる──
「もうピアノもバイオリンもやりたくないよ!」
 気付けはそんな怒号を親父に向かって吐き出していた。
 親の敷いたレールには絶対に乗らない。いや、乗りたくない。
 そう、俺は探せば何処にでも存在する普遍的な一人の人間なんだ。会社員になって平凡な人生を歩もうが、大富豪の娘と玉の輿婚をしてヒモになろうが俺の勝手。親の期待を反故しても罪にはならないので問題性は皆無だし、それに音楽家の息子だからといって無理に同じ道を進まなくてもいいだろう。
 こうしてその日から俺は音楽という名の親父から押しつけられた生き地獄より完全に離別した。そして決意した。自分の好きなように、思いのままに生きようと。
 それからの俺は自分がのめり込めそうな趣味を探しはじめ、紆余曲折の末に野球という素晴らしい球技スポーツと出会った。
 コタツに蜜柑、ビールにおつまみ、紅茶にティーカップ、俺に野球といった具合に、野球はもはや市野崎音弥という人間の中で切っても切り離せない存在に成り上がっている。野球をプレイできないようなものなら飢え死に確実であろう。
 最初は初心者故に苦労する場面も多々あったが、最終的にはその辺を探せば居そうな一般的野球少年と肩を張れるくらいにまで腕前が上昇した。

 そして野球に打ち込みはじめてから幾度の季節が過ぎ去り、8年目の春が訪れる──

 俺の新生活を祝福するかのごとく、辺り一面では淡いピンクに染まった花びらが青空を天高く舞う。まさに春到来といった言葉が当てはまる今日この頃。
 本日は俺が今年の春から通うことになった『私立白銀学院』の入学式。
 遡ること半年前、俺は三年連続で甲子園出場を果たしている強豪野球部の存在を知って、この白銀学院への受験を決めた。
 中学での成績は中の下程度だったので、勉強は正直言ってあまり得意な方ではない。が、夢のために、将来のためにと、俺は必死になって受験当日まで大嫌いな勉学に励んだ。そして半年間にも及ぶ受験戦争の末、奇跡的に合格という名の栄誉を勝ち取り、現在に至るわけだ。
 因みに受験後、白銀学院へと試験の点数表を受け取りに訪れたが、本当に合格したのか疑わしいほどの悲惨な点数であった。それでも合格は合格。最低ラインであろうが受かってさえすれば後はどうでもいいのだ。
 ぶかぶかで少しサイズが大きめの真新しい制服を纏い、俺は期待に胸を高鳴らせながら、桃色の花びらが舞い踊る桜並木を闊歩する。
 その途中、後ろから飛んできた聞き覚えのある声に反応して、俺の歩調が止まる。
「音弥、おはよう」
「よぉ!」
 癖一つない直毛を靡かせつつ、爽やか成分98パーセント配合の笑みで挨拶をしてくる美少年は、俺の小学生時代からの同級生であり、腐れ縁でもある谷裕二(たにゆうじ)だ。生まれつき恵まれているのか彼の背丈は高校一年生男子平均身長の遥か上をいき、男目線から見てもムカつくほどに八頭身スタイルが決まっている。更には普通レベル(自己評価)の顔立ちである俺が嫉妬してしまうくらい顔のパーツが整っており、世間一般的にイケメンと称されるうらやましい奴なのだ。こいつほど眉目秀麗という言葉が当てはまる奴もいないだろうな。そういえば中学時代は妙に周りの女生徒達からちやほやされていたっけ。
「何か改まって言うのもなんだけど、またよろしく」
「おうよ」
 説明し忘れていたが、こいつもまた俺と同じく私立白銀学院へと入学する。
「そういえば、この前、合格祝い貰ったとか言ってたけど、なにもらったの?」
「あぁ、ラッパみたいなやつだった。本当訳わからんよ。あれ程楽器は要らないって言ってんのにな」
 俺は三日前に父親から受験の合格祝いとしてあるプレゼントを貰った。
 それは音楽に嫌悪感を抱く俺がまったく望んでもいない、金色に輝いている小さなラッパらしき楽器。勿論のこと、俺は親父に「いらない」と冷たい一言を浴びせて、プレゼントを突き返してやった。
 何で今更、楽器などやらなきゃならんのだ。俺が音楽家の息子ということもあってその道に進めてやりたいんだろうが、そんな自分勝手に期待の目を向けられても困る。俺はとっくの昔に野球とともに生きると決めたんだ。そして、プロ野球ドラフト会議で一位指名をもらって華々しいデビューを飾るんだ。
「まぁ、音弥のおじさんの気持ちも分からなくないでもないけどね」
「なんだよ! お前、俺の親父を擁護するつもりか!」
「そういうわけじゃないって」
 とまぁ、俺らは中学時代と何一つ変わらず、とりとめのない雑談を交わしながら通学路を進む。
 それから5分ほど歩くと──
 全貌を現した正門の先に、人目を惹きつける斬新なデザインの校舎がそびえ立っていた。
 この学校こそが三年もの長いようで短い間、学び舎として過ごすことになる私立白銀学院。
 白を基調とした真新しいその校舎を見上げながら、俺は三年間の学園生活に希望を膨らませて、眼前に屹立する正門をくぐる。
 門をくぐる際に一年で野球部のエースに上り詰めてやると固く誓った俺だったが、自分の学園生活が想像から大きくかけ離れるものになってしまうとは、この地点で気付くはずもなかった。



2011年1月13日 公開



     



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