TRIANGLE



第1話 再会



 星ヶ丘へ一直線に伸びる、緑が鮮やかな並木道。朝を迎えると、この道には溢れんばかりの学生が姿を現す。
 そんな混雑を見せる並木道に、真新しい紺色のブレザー、チェック入りのプリーツスカート、そして真っ赤な可愛らしいリボンといったスタンダードな制服を身に纏った愛の姿があった。
 愛は俗に言う転校生であり、今日から編入先の美浜学園へと通うことになっている。

 柔らかな初夏の風が愛の黒髪を優しく撫でる。
 東京を離れて早五日。愛はある一人の人物を思い出す。

 桜井愛、初恋の相手。それが一つ年上の先輩、田中英次(たなかひでつぐ)だった。
 それは三ヶ月前のこと──
 愛は勇気を出して田中先輩に告白して自分の想いを告げた。
 しかし返ってきた答えは喜ばしいものではなかった。そう、田中先輩には彼女がいたのである。
 結局、愛の初恋は儚く散ってしまった。
 それでも愛は未だに田中先輩の事を忘れることができずにいる。忘れようとしても、どうしても心の奥底に残ってしまうのだ。どうやら好きという強い気持ちが障害になり、簡単に消せないらしい。
 でも、このまま好きでいるわけにもいかない。この新しい生活で自分を変える、前向きに生きると愛は決めたのだ。だから、過去は振り返らない。

 ふと前方に意識を向けると、前真っ赤なフレームが輝かしいマウンテンバイクが走行していた。紺色のブレザー、チェック入りのズボン姿から想定する限り、乗っているのは美浜学園の男子生徒だろう。
 しかし奇妙な点が一つ。酔っ払いの如く、ふらつきながら蛇行運転をしているのだ。見ている側にしてみれば実に危ない光景である。
 愛はそんな迷惑極まりない少年に不満を覚えるが、その時──
 少年の乗るマウンテンバイクが歩道脇の街路樹へ向かって一直線に進みだした。このまま突き進めば何が起こるのかは大体想像がつく。
「あっ! 危ないっ!!」
 その一触即発な光景を目にし、愛はとっさに大声で叫んだ。
 が、時既に遅し。マウンテンバイクは見事に街路樹へと激突。少年は花火が打ち上げられるかの如く空中へと投げ出された。そして少年は、激しく地面へと叩きつけられる。
「だ、大丈夫っ!?」
 急いで少年の元に駆け寄り、声をかける愛。
返答はない。が、意識ははっきりしているようで、ただの屍になるほどの重症ではなく、愛は一先ず安心した。
 そして怪我がないか調べていると、足首が赤く腫れ上っていることに気付く。恐らく地面に落ちた際に足首を強く打ちつけてしまったのだろう。
「……大丈夫だ。気にしないでくれ……」
 数秒後、ようやく少年の口が動き出す。
 しかし、彼はすぐに顔を歪めた。やはり先ほどの強い衝撃もあり無傷というわけにはいかなかったらしい。
「足が……早く診てもらわ――」
 愛が気遣いの言葉をかけながら、振り向くと──
 ようやく窺うことができた少年の素顔。愛はその面立ちを見て、驚かずにははいられない。偶然なのか必然なのか──
 そう、愛の瞳に映っていたのは数日前に星ヶ丘海岸で出会ったあの少年だったのだ。
 少年もまた愛の事を思い出したようで、驚愕に満ちた表情を浮かべていた。しかし、足首に激痛が襲ってきたのかすぐに顔を歪める。
「くっ……足が……」
「とっ、とりあえず学校の保健室で見てもらおうよ!」
「いい……このくらい大丈夫だ……」
 愛の心配を余所に、少年は足を引きずりながら自力で歩こうとするが──
「無理しないほうが良いよ!」
 その痛々しい姿を見るに見兼ねた愛は、少年の肩に腕を回して表情を窺いながら一緒に歩き出した。
 それでもなお、愛の善意を拒み続ける少年は腕を振り払おうとする。対して愛は右腕をがっちりと掴んで、心に突き刺さるような真摯な瞳をぶつける。
「駄目! 無理するなら腕を離さないからね!」
「……わかったよ」
 結果的に少年は愛の真剣な態度に根負けしてしまい、彼女に手助けされる形で丘の頂上に屹立する美浜学園へと向かうことになった。

 愛の転校先『私立美浜学園』は四年前に新築されたばかりの、どこにでもある一般的な私立校。
 学校は美浜で一番標高が高いと言われている星ヶ丘の頂上に立っており、周辺には彩り豊かに咲き誇る花々や青々と健康的に育つ木々や草花など、まさに自然と融合した造りになっている。そして星ヶ丘から眺める海原は有名な絶景ポイントで、美浜学園は別名『海辺の花園』とも呼ばれているという。

 二人は学校の正門をくぐると、すぐさま昇降口の脇にある保健室へと足を運んだ。
 愛は保健室の扉をノックするが、中からの返事はなく人の気配も感じられない。
 とりあえず挨拶をして入室する二人。白を基調としたその小さな空間には治療器具、ベッド、椅子などが所狭しに置いてあるが、肝心の保健室担当の先生は不在だった。
「……誰もいないみたいだね……ここで少し待つ?」
「ああ、そうだな」
 少年は適当に相槌を打ち、傍にあった丸椅子へと座り込む。愛も少年と対する形で、近くのベッドへと腰を下ろした。
「先生すぐ来るよね?」
「ああ、そうだな……」
「ちょっと来るのが早かったみたいだね」
「ふわぁ〜あ……そーだな」
 少年の大きな欠伸。まったくもってつまらないやり取りである。
 そんな緊迫感のない流れに飽きたのか、愛は小悪魔のような笑みを浮かべて一言呟いた。
「……二人きりだからって襲ったりしないでね」
「あぁ〜そうだなぁ〜って、なに言わせるんだ!」
「あはは〜! ノリツッコミ面白いねー!」
 少年の焦りと怒りを混ぜた反応を面白がって眺める愛。
 そんな状況の中、愛は互いの名前を知らない事に気が付いたので少年に尋ねてみることにした。
「あっ! そういえば君の名前聞いてなかったね! ねぇ、君の名前は?」
「俺はかむろひさしだけど……」
 少年の名は神室尚志(かむろひさし)という。当然のことながらここ私立美浜学園の生徒であり、愛と同じ二年生らしい。
「ふぅ〜ん、神室尚志っていうんだ……尚志……ひさし……」
 ようやく少年の名前を知ることができた愛。天井を見上げながら魔法を使うかの如く、その「尚志」という名前を連呼する。
「ひさし……ひさし……ひさ……ひさー……ひっさ……ひっさー! うん! これだね!」
 そして納得するかのようにうんうんと頷いた愛は、尚志に対してこう告げた。
「私は桜井愛! よろしくね! ひっさー!」
「お、おう……ん?」
 ひっさー。
 愛の口から飛び出した意味不明な単語に、嫌な予感がした尚志はさりげなく訊いてみた。
「……一つ聞きたいんだけどひっさーって……何?」
「え? 君のことだよ?」
 何か問題でもある?といった表情で当たり前のように返答する愛。そう、愛は先ほど尚志の名前を連呼しながら勝手にあだ名を考えていたのだ。
 嫌な予感は見事なまでに的中。急に身体の底から恥ずかしさが込み上げてきて、尚志は徐々に顔面を紅潮させる。
「ちょっとまて! 勝手に変なあだ名つけるな〜!!」
「あはは〜! ひっさームキになりすぎだよ〜!」
 早速、出来立てほやほや本人非公認のあだ名を笑いながら使用する愛。そんな愛の態度に腹が立ったのか尚志は文句を吐こうとするが──
「あっ!」
 何の前触れもなしに愛は突如、ベッドから飛び上がった。
「そういえば私、職員室に行かなきゃ行けないんだった! ひっさー、ちゃんと手当て受けてきてね!」
 愛はそう言い残すと、颯爽と保健室を飛び出していなくなってしまった。
 桜井愛という名の嵐が通り過ぎ、再び静寂に包まれる保健室。
 結局、何も言い返すことが出来ないまま、彼女の中での尚志のあだ名は『ひっさー』に落ち着いてしまった。
 出会ってから僅か数分しか経っていないのに、いとも簡単に尚志を手玉に取ってしまう桜井愛。もうこんな惨めな思いをするのはこりごりなので、たとえ再会したとしても絶対に関わらないようにしようと密かに誓う尚志であった。
「そういえば何か忘れているような……」
 顎に指を当てて、今朝からの一連の行動を脳内で整理する尚志。そして数秒後、失念していた事を完全に思い出す。
「うあっ! マウンテンバイク!」 
 素っ頓狂な声は、無常にも保健室の中に響き渡った。



2011年1月21日 公開



          



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