キオク

第一話 きっかけ



「う……ん……」

 視界が広がった。

 そこは昼休みを迎えたのどかな教室。開け放たれた窓からは柔らかい風が吹き込み、カーテンを穏や

かに揺らしている。加えて眠気を誘う暖かな太陽光が、平和な時間を象徴していた。

 僕はいつの間にか、机に突っ伏して寝ていたらしい。

 あの夢は何だったのだろうか。女の子と男の子からは妙な懐かしさを感じたけれど。

 真剣に思い出そうとしても、何も頭に浮かばない。

 仕方がなく気持ちを切り替え、ポケットから携帯電話を取り出そうとする。

「やっと起きたみたいだな。なぁ、暇だからポーカーしねーか?」

 唐突に暇つぶしの提案を出してくるのは、僕の隣に居座っている名取勇(なとりゆう)だ。僕、星川卓真

(ほしかわたくま)の親友である。

「……何だ、勇か。てか俺はそれほど暇じゃないって」

 面倒に感じた俺は、軽くあしらって携帯電話を開く。

「さっきまで寝てたやつが暇じゃないはずないだろ!」

 アプリを起動する僕に、間髪入れず文句が飛んでくる。

 とりあえず、寝起きの僕に向かって大声を出すのはやめてほしい。

 それに、携帯ゲームが忙しくて勇の相手なんかしていられないんだ。

「まぁ、とにかくポーカーしようぜ〜ポーカーしようぜ〜ポーカーしようぜ〜!」

「っ、しかたねぇなぁ〜」

 勇の異常なしつこさに完敗した俺は、渋々ポーカーに付き合う事にした。

 更にある提案を出してくる。

「罰ゲームねーといまいち盛り上がんねーから、負けた方は好きなやつに告白な」

「はぁ? そんなのお前、一人でやってろよ。そもそも俺、好きな人いないし」

「ふ、いまさら隠しても無駄だぜ。お前、香奈ちゃんのこと好きなんだろ?」

 一人の少女の名により、俺の鼓動は一気に高鳴る。

 ちょこんと赤いゴムで結ばれた、肩まで美しく流れる黒髪──

 童顔で子供らしさをちらつかせる、無邪気な表情──

 そして──

 時折覗かせる、魅力的なはにかんだ笑顔。

 その少女こそ、同じクラスに在籍する香奈ちゃんこと西原香奈(にしはらかな)である。

 僕は香奈ちゃんの可愛さ溢れる微笑みにやられ、恋心を抱いてしまった。

 勿論、面倒なことになるのは目に見えているので、勇に暴露するつもりは毛頭ない。

「何言ってんだよ。んなわけない」

 とりあえず無難な反応で誤魔化してみるが、何故か勇は勝ち誇ったかのような笑みを浮かべていた。

「ふっふっふっ……俺に嘘はつけねーそ! お前、授業中とかいっつも香奈ちゃんのこと見てるもんなぁ

〜!」

「はぁ!?」

 勇は授業中に隠れて僕の観察をしているらしい。女子を観察するならまだしも、男である僕を観察する

とはどういう思考をしているのだろう。馬鹿勇の脳内には理解しがたいものがある。

「と、とにかくこんな馬鹿げたことやらねーぞ!」

「……ほぉ、尻尾を巻いて逃げるのか?」

 小声かつ低音でそう呟く勇。

 その舐めきった上から目線の一言に、無性に腹が立った。

 こんな人生を遊びとしか考えていない奴に、不戦敗するのは一生の恥。それに僕の名誉にも係わる。

「やってやろうじゃねーか!」

 僕は机から身を乗り出し宣戦布告。勇も張り切った声でそれに応じる。

「んで、バツゲーム。負けた場合誰に告白すんだ?」

「そ、それは負けてからでいいだろ」

「駄目、却下。いいから誰に告るかはっきり言えよ」

「う……そ、それは……」

 どう考えても、香奈ちゃん以外に該当者がいないため質問には答えられない。口を濁した結果、更に追

い込まれてしまう。

「よし。香奈ちゃんに決定な」

 勇の独断により罰ゲームの告白相手が香奈ちゃんに決定した。因みに異論は認めないらしい。

 僕は無性に腹が立ち、反撃を開始する。

「そ、そういうお前は誰なんだよ!」

「俺は春ちゃんに決まってるだろ!」

 勇は恥ずかしがる様子を微塵も見せずにあっさりと暴露。僕とは違い、何故が凄く潔い。

「春ちゃんねぇ……」

 春ちゃんとは学年の女子でもっとも人気のある天満春香(あまみはるか)って娘だ。ちなみに今まで春

ちゃんに告白した勇気ある戦士達はことごとく玉砕されているらしい。こんな高倍率の勝負に打って出る

とは、命知らずにも程がある。

 絶対無理。一戦士として宇宙に散っていくのだろう。

「無理とか言うな!」

「誰も言ってねーよ!」

 お前は人の心が読めるのかい。



 こうして告白大イベントを賭けた、熱き戦いの火蓋が切って落とされた。

 ルールは簡単。ポーカーで先に五勝した方が勝者になる。敗者には先ほど決めた通り、罰ゲームもと

い告白大イベントが待っている。

 そしてゲーム開始数秒後、僕は重大な事に気が付いた。

 それは、勇がプロ並みの腕前の持ち主ということ。

 勿論、勝負は既に見えているわけで──

「よっし! これで五連勝! まぁ、俺が相手だし仕方ないよな」

 勝利に酔いしれながらガッツポーズをする勇。そして僕に向かってにやけながら情けの言葉をかける。

 僕は目の前の現実が受け入れられず、がっくりと肩を落とした。まさか惨敗とは……

「んじゃ、約束のバツゲ〜ム〜!」

「え? な、なんのことだぁ?」

 口を濁してみるが、そんな見え見えの誤魔化しなど通用するはずもなく。

「ごまかすな!」

 勇は猫を持ち上げるようにシャツの襟を掴み、ずるずると僕を引きずりはじめる。向かう先は……香奈

ちゃんの座る机だ。

「おい、や、やめろ! 放せ」

 凄まじい馬鹿力が僕の体を支配する。さすが空手部の主将の腕力は伊達じゃないらしい。

 結局、抵抗空しく一方的に香奈ちゃんの机まで連行された。

「ほらよ!」

 突然、手を放されその場に転げ落ちる。その姿を目の当たりにする一人の少女。

 今の僕、傍から見ると凄くかっこわりぃ。

「卓真君、どしたの?」

 目を丸くしながら、問いかけるこの娘が、僕の意中の相手である西原香奈ちゃん。

 その表情はいつも通り可愛くて、僕の心を一瞬にして射落とした。さらに香奈ちゃんの純粋な瞳が追い

打ちをかける。

 こんな状況では、告白など到底できるはずがない。

 よし、ここはいったん引き下がろう。その方がいいに決まっている。僕の第六感もそう告げていることだ

し。

 が、その時──

「ったく、じれってぇなぁ! こいつ香奈ちゃんのこと好きなんだってよ」

「ばっ、ばか! なに言いだすんだよ!」

 終わった……

 二年間温めてきた僕の初恋が馬鹿勇の一言で終わっちゃったよ……

 程なく脳内に絶望という名の鎮魂歌が流れ始めた。

「え、そうなの?」

 驚きながらそう訊いてくる香奈ちゃん。

「い、いや、ち、ちが──」

「じゃあ、付き合っちゃおうか?」

 否定しようとする僕に向かって、香奈ちゃんは瞳を覗き込みながらにこやかに微笑む。

 その言葉に思考が一時的に停止した。

 今、「付き合っちゃおうか」って言ってたような気がするけど、どういうことだろう。

 二秒後、我に返り、僕は香奈ちゃんの発言に目を丸くする。

「えっ……えぇ〜!!」

「嫌なら別にいいんだけどさ〜」

 驚愕の叫びが気に障ったのか、香奈ちゃんは不機嫌そうに頬を膨らませる。

 考えてみれば、こんなチャンスは二度とないだろう。この期を逃したら、一生付き合えない気がするし。

 となれば、答えはただ一つ。

「い、嫌なんかじゃないよ! むしろ嬉しいくらい!」

「良かった〜! それじゃあ、改めてよろしくねぇ〜!」

 そう言って軽く手を握ってくる香奈ちゃん。

 華奢な掌からは、香奈ちゃんの温もりがひしひし伝わってくる。

 ……何か幸せ。



「い、意外な結果だったな……」

「お、俺も今の状況が理解できん……」

 香奈ちゃんとの交際が決定した後、自分の席に戻り状況を整理する。

 嬉しいはずなのに、何故か複雑な気持ちが湧き上がる。

「なんで、あの香奈ちゃんがこんなやつと……」

「こんなやつとか言うな」

 お前こそこんなやつだろ。

 でも香奈ちゃんは何故、僕なんかと付き合おうって言ったのだろうか。凄く気になる。

「まぁ、冗談だよな!」

 気を取り直すように、勇は明るい声で僕に同意を求めてきた。

「そ、そうだよな。冗談だよな」

 というか冗談であってほしいです。

 あんな人気のある娘と付き合えるわけがない。一般凡人の僕と高嶺の花である香奈ちゃんとじゃ、絶

対に釣り合わないし。

「冗談……か」

 僕は遥か前方に座っている香奈ちゃんの背中を見つめながら、小さく呟いた。



2007年6月17日 公開




          

inserted by FC2 system